アトリエベッラルーナの日記

慶応をやめてイギリスへ〜絵画造形の会社を立ち上げるまで〜

テロに遭ったロンドンで

バーミンガム大学の卒業式を7月に控え私は日本に帰らずにこれから行く、ロンドン大学の寮で夏を過ごしていました。

大学院に行く前にも読まなくてはいけない文献があったり、ロンドンなら大体主要な美術館にもアクセスできるのでそうしました。

 

ロンドン大学の寮は、今はわかりませんが、夏休み期間中、大学生以外も宿泊できて、シングルルームや2ベッドルームなど選べます。しかもサウスケンジントンなどとっても高級なエリアにあったりするので選び方によっては若い方にはおすすめ。その代わりシャワーとかトイレとか共用だったりしますけど。。。

 

私は2005年7月10日頃が卒業式だったと思います。なので7月7日に母親と叔母がロンドンに来て一緒に卒業式に出る予定でした。

全日空のロンドン便の到着は午後3時頃。

私が宿泊していた大学の寮はユーストンスクエアで、母親が来るのでこの日の朝に寮を出て一緒に泊まるホテルにトランクを持ってタクシーで移動しようとしていました。

黒いロンドンタクシーは大体どこでもつかまりますが、この日に限って1台もつかまらず、「おかしいなぁ・・・・」とは思っていたのですが、あの当時スマホでもなくガラケーであまり情報もなくひたすら同じ場所でタクシーを待っていいました。

 

すると、黒いタクシーが私の前を通り過ぎ、運転手さんと目があったのですが、通りすぎて行ってしまいました。あ、後部座席に人が乗ってる。

待って待って待っていると、その運転手さんが戻ってきてくれました。

「今日は朝から忙しいんだ。大変なんだよ。地下鉄で爆発があって。。。」と言われて

「OH MY GOD」 ガス管の爆発なのかよくわからないけどそんな状況でみんなタクシー移動なわけね。と思う程度。

ホテルにチェックインして昼食を取りにカフェに向かうと至る所に人・人・人。

カフェの中ではBBCの放送が流れていて、そこで初めて

 

ロンドンが同時爆破テロに遭った

 

ことを知りました。

しかもさっきまでいた寮の一番近い駅で爆発。

そしてロンドン大学UCLがあるユーストンの真裏でバスが爆発。

自分がニアミスだったことに寒気を感じました。

 

母親たちは飛行機の中。

とりあえず、日本にいる父へ電話して自分の無事を伝え、「とにかく必要以上に銀行からお金を下ろしておけ」というアドバイスでお金をおろし、いつもなら安い電車でヒースロー空港まで迎えに行くところを、目の前で人が降りて空になったタクシーをつかまえ、空港へ。

こういう時は即時判断が大事と改めて思いました。

 

どこへ行ってもテロのニュースは流れていて、詳細な情報が徐々にわかっていきました。

私がイギリスに留学をした年、2001年9月11日はNYがテロに遭い、今度はロンドン。

とりあえず、母親たちは着陸した瞬間私に電話をしてきて、無事なのか、空港まで来れたのかを確認。

 

どうやらパイロットも事情は分かっていたでしょうが、着陸まで何も情報を与えなかったようです。納得。

 

無事に母親と叔母と空港で合流し、この日はロンドン市内すべての電車が止まっていたのでタクシーで再びロンドンのホテルへ。

 

まさかこんな経験をするとは思ってもみなかったですが、無事に卒業式を迎えられ、友人たちにも無事に会えたことが本当に嬉しかった。

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バーミンガム大学卒業式